学校の近くには、朝鮮と日本のつながりを伝える地名や史跡がたくさんあります。    
                            つるの橋跡

「つるの橋」跡

日本最古の橋の遺跡です。
平野川改修前はここに橋がありました。仁徳天皇のころに出来たもので、「あすか」と「なにわ」を結ぶ道路に橋が渡されたものだそうです。もともとの名前は「小橋」ですが、鶴がたくさん住んでいたので「鶴橋」と呼ばれるようになったと言われています。

平野川の改修工事は百済川(旧平野川)と高麗川(猫間川)の氾濫が多かったので1919年から5年間もかかり、朝鮮半島から多くの朝鮮人が集められ働かされました。百済川と高麗川は、1940年の新平野川完成と同時に埋め立てられ、「つるの橋」が取りこわされ、1952年に地元の人々の協力で「つるの橋」跡として保存されました。

                            御幸森神社 
御幸森神社(猪飼野の氏神)

 百済からの渡来人によって、大陸の先進文化や技術が日本に伝えられました。仁徳天皇は、鷹狩りの道すがら、たびたび当地の森に休息してこれらの人々を見聞しました。そのことから、この地は「御幸の森」と呼ばれるようになったといわれています。
 また、御幸森神社の由緒書きの裏には、「猪飼野」の地名の起こりについても書かれていて、猪を甘く料理する技術をもっていた部族「猪甘部」が住んでいた所とあります。