すべてはここからはじまった 

1990〜91  新生・佃南小学校の一年

 


1 期待と不安の中で

 1990年4月1日。国際花と緑の博覧会が鶴見緑地で開幕したこの日、佃南小学校は西淀川区第13番目の小学校として誕生した。新しい学校に赴任する教職員は期待と不安が入り交じった気持ちになるものだが、佃南小学校の場合は不安の方が大きかったようだ。

 なにしろ「佃南小学校」の名前は一般的に知られていなかったし、学校の位置を調べようにもまだ地図に載っていなかった。これでは人事異動の内示を受け取った管理職も当該教職員への説明にとまどったことだろう。
  
 3月23日、新設校への異動内示を受け取った教職員は佃西小学校の会議室に集合した。「まだ、学校はできていないのですが、とりあえず見に行きましょうか」ということで、一行は佃南小学校へと歩いた。

開校記念人文字  ある教諭は当時の様子をこうふりかえる。

 「行けども行けども、学校は見えません。近づくにつれて工場が多くなり、気のせいか息苦しくなりました。工事中のマイシティを右に曲がると、校舎も運動場も未完成の佃南小学校が…。ブルドーザーがけたたましく動き回る光景を見て、一同は『すごい所だね』『4月から開校できるの?』と茫然としたものでした」

 かくして何もないところからの出発、教職員それぞれの奮闘が始まった。

2 物がない!

 春休み中とはいえ、机・いす・ロッカーの搬入など、やるべき仕事はたくさんある。職員室はというと電話がポツンと置かれているだけで、これでは仕事にならない。まずは机・いすを搬入し、その後で自己紹介が始まった。とにかく物がないので、調達担当者を筆頭に大忙し。

教育委員会の担当者 「開校までにないものはありますか」
学校側 「あのー、講堂の舞台に飾る花の壺、その台、立て看板…」
教育委員会の担当者 「そんな物がいるのですか」

 このようなやりとりが何度もくり返された。それでも各自の努力で、短時間のうちに学校の体裁が整えられていった。仕事が一息つくと、職員室の一角でコーヒー・ブレイク。コーヒーや食器類は教職員各自が持ちよったものだ。

 「同じスタート、苦境のスタートをきった仲間は割合すぐに打ち解けることができたようだ。そりゃ、共通の話題にはこと欠かないからね」(当時の教諭・談)

 入学式(4月7日)に間に合わせ、校舎の工事も終了した。新設校ということで、入学式にはテレビ局が取材にきた。そして4月9日の始業式には、400人の子どもたちが真新しい校舎に足を踏み入れた。


3 環境整備に奮闘の日々

 当時の業務記録を調べてみると、大変あわただしい一学期だったことがわかる。学校行事ひとつ実施するにしても、学校としての前例がないので、企画段階から新たな案を練り上げる必要があるからだ。

 それに加え、新設校ゆえの環境整備が忙しさに拍車をかけた。工場の跡地にできた運動場は整備が十分ではなく石ころがたくさん転がっていた。子どもたちや教職員、そしてPTAのメンバーで運動場の石拾いを何度も行ったという。

 教材・教具も不足していたので、統廃合になった小学校から多くの備品を譲り受けた。算数で言うと、指導用の大型ソロバン、さいころ、立体模型などである。

 手作りの備品もたくさんある。運動会の入退場門、画用紙棚、講堂のひな壇などは10年たった今も「現役」で活躍している。

 細かな品物が不足していた反面、放送設備や視聴覚機器は最新式のものがそろっていた。とはいえソフト面の不足に変わりはない。登下校や清掃時のBGM作成にあたり、担当者は相当苦労したという。ただしそれは、白紙の状態からひとつのものを創り上げるという点において、やりがいのある仕事だった。


 一学期の終了間際、鉄棒やジャングルジムなど運動場の体育施設がようやく完成した。待望のアスレチック施設ができあがったのは11月のことである。現在のように樹木が植えられるのは後のことだが、子どもたちは格好の遊び場ができたことに目を輝かせた。

4 林間学校の思い出

 6年生の林間学校は奈良県吉野郡洞川(どろがわ)で行われた。申し込みはその前年に佃西小学校が行っていたので、日程・宿舎とも佃西小と同じ。現地で顔をあわせた両校の子どもたちは同窓会の雰囲気だ。

 洞川の自然を子どもたちは満喫した。ワンパク連中は川に入って大はしゃぎ。先生もずぶぬれになった。河原で食べたカレーライス、星空の下で行ったキャンプファイヤー、みんな楽しい思い出になった。


5 子どもたちの歓声

 二学期は、運動会や学芸会などの楽しい行事が次々に行われた。子どもたちの声を学校新聞から紹介しよう。

 「運動会で一番心に残ったのは組み立て体そうでした。はじめのうちはなかなかうまくいかず、こけたり、くずれたりしたけれど、練習を毎日してきたので、当日はその成果がみのりました」(5年・女子)

 「(学芸会の合唱では)思いっきり大きな声を出しました。5年生も6年生も私たちのようにすごい練習をしていると思いました。すごくすばらしいなぁ、という気がしました」(4年・女子

運動会

 
 さて、この年本校が力を入れていたのが「あいさつ」の指導である。それには教職員が率先していこうと、子どもへの声かけを積極的に行った。
 
 その成果は
「子どもたちは『短期間でここまで変わるものか』と思うぐらい、明るくあいさつができるようになりました。学校の教育の意義を強く感じた出来事ですね」という教職員の言葉に示されている。


6 開校記念式典

 年が明けて、1991年3月2日。佃南小学校は開校一周年記念式典を挙行した。講堂での式典に先立って、運動場で児童集会が行われ、全校児童がヨーヨー釣り・輪投げなどで遊んだ。遊びに使う道具(まとあての的など)は、すべて教職員の手作りによるものだ。パズルゲームでは、みんなが力をあわせて「祝 創立1年 みんななかよし佃南」という文章を完成させた。

開校記念式典

 
 記念式典は市長代理・教育長代理以下150名の来賓、保護者、5・6年生の児童が参加して行われた。2月に制定されたばかりの校歌を子どもたちは元気よく披露した。

 「第二部の式典では、大人の人がいっぱいで緊張しました。私の近くには先生方がすわられていたので、手のひらが汗まみれになりました。でも一生に一度あるかないかの開校にめぐりあえてよかったです。佃南小学校に来て、私は幸せ者だなぁと感じました」(6年・女子)


7 「笑顔を忘れないで」

 3月19日、卒業式。佃南小学校最初の卒業生がこの日巣立っていった。井奥義浩校長は、6年生59名の子どもたちに次のような言葉を贈っている。

 「やさしい心を育ててください。みなさんの心の中にはやさしさがいっぱい詰まっています。しかし人生の様々な出来事のため、やさしさが負ける時もあります。そんな時は笑顔を忘れずに友達や家族の人とあいさつを交わしてごらん。話し合ってごらん。やさしい気持ちがからだの中にあふれてきます」

 今は亡き井奥校長の言葉は卒業生の心に響いたことだろう。


 開校の年の出来事をあれこれ綴ってきた。文字どおりゼロから出発した佃南小学校が、今では大阪市内でも有数の施設・設備を誇る学校になった。これはひとえに保護者のみなさん、地域の方々、そして教職員の努力の賜物である。

 学校創立10周年をひとつの節目として、われわれ教職員一同は新設校の歴史を切り開いた先輩諸氏の気概を受け継ぎ、佃南小学校のさらなる飛躍を決意している。

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