校名「弘治」の由来
織田信長による天下統一の少し前、国内は争乱に明け暮れていたころである。
当時の今宮村は、浪速の南に位置する小さな漁村であった。今宮村では毎年、正月13日に地元の海で取れた大鯛を宮中に献納する習わしがあった。
時は、戦乱の世の中で、皇室の力も弱まり、宮中での食物も十分ではなかった。そんな世の中でも今宮村では、大鯛献納の習わしが続けられた。
時の後奈良天皇は、このことを大変喜ばれ、弘治3年4月、感謝の文書をさしだされた。
※弘治年間は、16世紀半ばの1555年〜1557年の3年間である。
この文書は今でも広田神社の文庫に収められているという。
「弘治」の校名は、その年号からとったものであり、古文書から年号をとって校名としているのは、ほかではあまり例をみない。
(大阪市立弘治小学校 創立100周年記念誌より)